盛岡に住んでいると、「岩手って広いよね」と、もう耳タコになるくらい言われる。
実際、県民でも「どこに何があるのか」完璧に説明できる人の方が少ない気がする。
自分なんて、盛岡からちょっと外れただけで、Googleマップに頼らないと帰ってこられない。
そんな私が、最近ふと気になった町がある。
そう、一戸町。
📍「いちのへ」と読む。
読み方が渋い。数字で言えば「1」。
「一戸」と書くと、なんだか最初の戸籍のような、入口的な、はたまた最小単位のような…いや、名前からしてすでに引き込まれる何かがある。
地理的には県北。二戸市の下あたり。
たぶん岩手を語るうえで、忘れちゃいけない町。
なのに、盛岡に住んでいる私の脳内では「遠そう」「そもそも行ったことあったっけ?」という曖昧なイメージのまま放置されてきた町でもある。
🧡人口のこと…気になってしまった
そんな「気になるけどスルーしてきた存在」に対し、改めて調べてみようじゃないかと思ったわけである。
そこでまず出てきたのが 人口の変化。
🔢 2019年:12,221人
🔢 2025年12月1日現在:10,314人
なんと、6年ほどで 約1,900人も減っている。
人口減少が全国的な流れとはいえ、数字で見るとずしりと胸にくる。
これ、もし盛岡だったら…と想像してみたら、背筋がちょっと寒くなる。
盛岡だって人口減少が始まっているのに、自分は「まあ大丈夫っしょ」と、コンビニの新商品ばかりチェックして過ごしている。
一戸町のこの変化を前にすると、そんなお気楽さをちょっと恥ずかしく思えてくる。
「地方の人口が減る」というニュースは、日々テレビで言われすぎて慣れてしまったけれど、特定の町の数字として見るとやっぱり重たい。
🏡岩手にある「一戸」──たったの一戸じゃない
さて、「一戸」と聞くと、まるで家が一軒しかないみたいな誤解をされがちだが、当然そんなことはない。
そしてこれ、割と本気で勘違いしている人がいるのだ。
以前、東京出身の友人に「岩手の一戸って、一軒だけ?」と聞かれ、私は冗談かと思って笑ってしまったら、本人は本気だったらしく、逆に驚かれた。
📌 一戸町は、れっきとした町。ちゃんと暮らしがある。人がいる。文化がある。
当たり前すぎて説明するのも妙なのだが、それほど名前のインパクトが強いということなのだろう。
それならむしろ、誇っていいのではないか?
「戸のナンバリングは岩手から始まった説」とか、「戸籍の町」とか、ちょっとキャッチコピー化できそうじゃないか。
などと思ったものの、結局うまいキャッチは浮かばず、私はまたコンビニの新作スイーツ情報に逃げた。
🚗盛岡から一戸へ──近いようで遠い心理的距離
車で走れば、盛岡から一戸は、おおむね1時間ちょっと。
実はそんなに遠くない。
だが、この「県北」という言葉が、心理的な距離を異様に遠く感じさせてくる。
県南や沿岸は「いざ行こう」と思うことが日常にあるのに、県北はなぜか特別ミッションのような空気がある。
🗺️「今度行ってみようかなぁ」と言い続けて、気づけば歳をとってしまう。
気づいたら、コンビニで店員に「袋いりますか?」と聞かれなくなり、気づいたら、学生時代の髪型を維持するだけで精一杯になっていた。
一戸町との距離感は、まるで自分の未来計画みたいだ。
大事だとわかっているのに、後回しにしてしまう。
🍎文化と特産と、静かな生活の匂い
調べていくうちに、一戸町がただの「遠そうな町」でも「人口が減っている町」でもないことが見えてきた。
特産品は農作物、畜産、そして昔からの食文化が息づく。
土地に根付く暮らしがあり、それが観光地的派手さはないが、生活の匂いとして伝わってくる。
盛岡の街中で、私は日々、人混みと、信号待ちと、駐車場争奪戦に疲れながら生きている。
それと比べて、一戸町の「静かで当たり前の暮らし」は、なんだかほっとする。
📝まとめじゃないけど、心にメモしたこと
この町の人口が減っても、数字の向こうには、人の暮らしや物語がある。
盛岡に住む自分にとって、この町は「遠い知り合い」みたいな存在だったけど、もう少しちゃんと向き合ってもいいのかもしれない。
📌 一戸町は、岩手県にちゃんとある
📌 ただの「1番」じゃない
📌 誰かが生きている土地のひとつ
人口減少という現実は厳しい。
でもそれは、特別な町だけの問題じゃない。
盛岡だって、いずれ同じ課題に向き合う日が来る。
いや、もう始まっている。
だからこそ、私たちは知ろうとするべきなのかもしれない。
「なんとなく遠い町のこと」を。
そして、自分の町の未来のことも。
…と真面目なことを書きつつ、今日も私はコンビニでプリンを買って帰る。
地域の未来より、甘いものを優先してしまう、そんな自虐と現実の中で。
一戸町、今度こそ行ってみようかな 🚗💨
いや、プリン食べ終わってからでも遅くないだろう。




