一戸町の人口10,314人…気になる変化と暮らしの話👀

盛岡に住んでいると、「岩手って広いよね」と、もう耳タコになるくらい言われる。
実際、県民でも「どこに何があるのか」完璧に説明できる人の方が少ない気がする。
自分なんて、盛岡からちょっと外れただけで、Googleマップに頼らないと帰ってこられない。
そんな私が、最近ふと気になった町がある。
 

そう、一戸町。
 

📍「いちのへ」と読む。
読み方が渋い。数字で言えば「1」。
「一戸」と書くと、なんだか最初の戸籍のような、入口的な、はたまた最小単位のような…いや、名前からしてすでに引き込まれる何かがある。
 

地理的には県北。二戸市の下あたり。
たぶん岩手を語るうえで、忘れちゃいけない町。
なのに、盛岡に住んでいる私の脳内では「遠そう」「そもそも行ったことあったっけ?」という曖昧なイメージのまま放置されてきた町でもある。
 

🧡人口のこと…気になってしまった
 

そんな「気になるけどスルーしてきた存在」に対し、改めて調べてみようじゃないかと思ったわけである。
そこでまず出てきたのが 人口の変化。
 

🔢 2019年:12,221人
🔢 2025年12月1日現在:10,314人
 

なんと、6年ほどで 約1,900人も減っている。
人口減少が全国的な流れとはいえ、数字で見るとずしりと胸にくる。
これ、もし盛岡だったら…と想像してみたら、背筋がちょっと寒くなる。
盛岡だって人口減少が始まっているのに、自分は「まあ大丈夫っしょ」と、コンビニの新商品ばかりチェックして過ごしている。
一戸町のこの変化を前にすると、そんなお気楽さをちょっと恥ずかしく思えてくる。
 

「地方の人口が減る」というニュースは、日々テレビで言われすぎて慣れてしまったけれど、特定の町の数字として見るとやっぱり重たい。
 

🏡岩手にある「一戸」──たったの一戸じゃない
 

さて、「一戸」と聞くと、まるで家が一軒しかないみたいな誤解をされがちだが、当然そんなことはない。
そしてこれ、割と本気で勘違いしている人がいるのだ。
以前、東京出身の友人に「岩手の一戸って、一軒だけ?」と聞かれ、私は冗談かと思って笑ってしまったら、本人は本気だったらしく、逆に驚かれた。
 

📌 一戸町は、れっきとした町。ちゃんと暮らしがある。人がいる。文化がある。
 

当たり前すぎて説明するのも妙なのだが、それほど名前のインパクトが強いということなのだろう。
それならむしろ、誇っていいのではないか?
「戸のナンバリングは岩手から始まった説」とか、「戸籍の町」とか、ちょっとキャッチコピー化できそうじゃないか。
 

などと思ったものの、結局うまいキャッチは浮かばず、私はまたコンビニの新作スイーツ情報に逃げた。
 

🚗盛岡から一戸へ──近いようで遠い心理的距離
 

車で走れば、盛岡から一戸は、おおむね1時間ちょっと。
実はそんなに遠くない。
だが、この「県北」という言葉が、心理的な距離を異様に遠く感じさせてくる。
県南や沿岸は「いざ行こう」と思うことが日常にあるのに、県北はなぜか特別ミッションのような空気がある。
 

🗺️「今度行ってみようかなぁ」と言い続けて、気づけば歳をとってしまう。
気づいたら、コンビニで店員に「袋いりますか?」と聞かれなくなり、気づいたら、学生時代の髪型を維持するだけで精一杯になっていた。
 

一戸町との距離感は、まるで自分の未来計画みたいだ。
大事だとわかっているのに、後回しにしてしまう。
 

🍎文化と特産と、静かな生活の匂い
 

調べていくうちに、一戸町がただの「遠そうな町」でも「人口が減っている町」でもないことが見えてきた。
特産品は農作物、畜産、そして昔からの食文化が息づく。
土地に根付く暮らしがあり、それが観光地的派手さはないが、生活の匂いとして伝わってくる。
 

盛岡の街中で、私は日々、人混みと、信号待ちと、駐車場争奪戦に疲れながら生きている。
それと比べて、一戸町の「静かで当たり前の暮らし」は、なんだかほっとする。
 

📝まとめじゃないけど、心にメモしたこと
 

この町の人口が減っても、数字の向こうには、人の暮らしや物語がある。
盛岡に住む自分にとって、この町は「遠い知り合い」みたいな存在だったけど、もう少しちゃんと向き合ってもいいのかもしれない。
 

📌 一戸町は、岩手県にちゃんとある
📌 ただの「1番」じゃない
📌 誰かが生きている土地のひとつ
 

人口減少という現実は厳しい。
でもそれは、特別な町だけの問題じゃない。
盛岡だって、いずれ同じ課題に向き合う日が来る。
いや、もう始まっている。
 

だからこそ、私たちは知ろうとするべきなのかもしれない。
「なんとなく遠い町のこと」を。
そして、自分の町の未来のことも。
 

…と真面目なことを書きつつ、今日も私はコンビニでプリンを買って帰る。
地域の未来より、甘いものを優先してしまう、そんな自虐と現実の中で。
 

一戸町、今度こそ行ってみようかな 🚗💨
いや、プリン食べ終わってからでも遅くないだろう。

 

岩手県一戸町公式サイト

 

釜石市の人口28,234人を調べて気づいたこと🤔🌊

釜石市の人口を何の気なしに調べてみたら
思っていたよりずっと少なくて
朝から「うおっ」と声が出てしまった 😳

2025年11月1日時点で 28,234人
平成27年は 35,918人

数字だけ見ると
「減ったなぁ…」としみじみしてしまうけれど
なんでこんなに胸に刺さるんだろう 🤔

盛岡で暮らしていると
沿岸の街ってどこか特別な存在で
海の匂いも
潮風の冷たさも
日常から少し浮いたような空気も
ぜんぶ “遠くて近い” 感覚として残っている 🌊

その中でも
釜石ってやっぱり強烈な個性がある街だと思う。

鉄の歴史
海の景色
港のざわめき
駅前のゆるい流れ
どれも一瞬で空気を変えてくれる。

だからこそ
人口が減ったという数字以上に
街の景色が変わってしまったような
そんな気がして
ちょっと胸がざわつく 😐💭

でも
数字って不思議で
ただの記号の集まりなのに
そこに生活や息づかいが見えてくる気がする。

28,234人の暮らし
その中にある朝

笑い声
ため息
魚の匂い
風の音
それらが全部ギュッと詰まっていると思うと
僕はまた釜石に行きたくなる 🚗💨

盛岡から海は近いようで遠い。
地図で見れば同じ県だけど
空気はまったく違う。

街の中心で働いて
コンビニでコーヒーを買って
なんとなく空を見上げる日々の中で
ふと「海が見たい」と思う瞬間があって
そんなときに向かう街のひとつが釜石だ。

潮の匂いがする道路
防波堤の影
港に止まるクレーン
コンビニに入ると
漁を終えた人たちの姿

そういうものが
盛岡では感じられない温度を持っていて
体の中の空気を全部入れ替えてくれるような
不思議な爽快感がある 😌🌬️

今回の人口の数字を見て
そんな街の記憶が一気に蘇ってきた。

バスセンターから向かったあの日
海を見てぼーっとした午後
道の駅で食べたソフトクリーム 🍦
あのゆるい時間が
実は街の「人の数」とも密接に関わっていたのかもしれないと
今さら思ったりする。

平成27年の 35,918人
あの頃の景色を思うと
ちょっと胸が熱くなる。

何気なく歩いた道
なんとなく眺めた海
静かに揺れていた船
そういう光景の中には
あの頃の“人の数”があった。

もちろん
人口が減ったからって
街の価値が薄れるわけじゃない。
むしろ
少ないからこそ見える景色だってあるはず 🌅

釜石の28,234人が
どんな日常を生きているのか
どんな未来を見ているのか
そういう想像をすると
なんだか数字が立体的に見えてくる。

岩手県の右側に
ひょいっと顔を出すように存在する釜石。
地図の上なのに
存在感が分厚い街。

盛岡にいると
「同じ県とは思えないよな」と思う瞬間が多くて
それがまた魅力でもある。

ふと
街の人口を調べただけのつもりだったのに
こんなにいろんな感情が出てくるとは
我ながら驚いている 😅
単純に「へぇ〜」で済むと思っていたのに
気づけば文章を書きながら
釜石の空気が懐かしくて仕方なくなっている。

海の匂い
風の強さ
坂道の感じ
駅のホームの静けさ
それを思い出すだけで
胸の奥が少し明るくなる。

街の人口という
きわめてパーソナルじゃない情報に
どうしてこんなに反応してしまうのか。

おそらく
釜石そのものが
僕にとっては
ただの地名以上の意味を持っているからなんだと思う。

四角い地図の上に書かれた文字じゃなくて
空気として残っている
香りとして記憶にある
音として耳に残っている
そんな街だ。

人口が減ったというニュースは
どうしても暗い響きを持つけれど
実際の街はきっと
その数字ほど静かでもなく
寂しくもなく
普通に人が笑って暮らしている。
数字と日常のギャップが
余計に気持ちを揺らすのかもしれない。

そして僕はまた
高速バスの時刻表を開きかけている 📱🚌
こうして文章を書きながら
「次の休みに行こうかな」と自然に思い始めている。

釜石って
行くたびに景色が少し違って見える街だ。
海の光り方も
人の歩き方も
店の雰囲気も
毎回微妙に変わっていて
その変化がまた面白い。

人口の数字だけ見ていたら
そんな楽しさには気づけないだろうし
街のリアルな姿を知らずに
「減ったんだな」で終わってしまう。

それはあまりにももったいない。

だからこそ
また歩きたい。
街の風を感じたい。
海沿いの道をぼんやり眺めたい。
釜石ラーメンも食べたい 🍜✨

今回の“なんとなくの調査”のおかげで
また一つ行く理由が増えた。
こういう気づきがあるから
調べ事って面白い。

盛岡に住んでいると
つい日常が単調になりがちだけど
釜石のような
ちょっと距離のある街の存在が
いい具合に背中を押してくれる。

また気が向いたら
ふらっと行こう。
海を見て
港を散歩して
ちょっと写真を撮って
ゆっくりコーヒーでも飲んで
帰る頃にはきっと
気持ちが軽くなっているはず ☕😌

人口という数字から始まった妄想の旅だけど
こうして文章に残すことで
また釜石との距離が少し縮まった気がする。

街の変化を知ることは
その街の現在を知ることでもあり
未来を思うきっかけにもなる。

そして僕はやっぱり
釜石の未来が気になる。
気になるからこそ
また見に行きたい。

そんなことを思いながら
今日の記事はここまでにしておく。

 

釜石市の人口・世帯(令和7年10月末現在)

 

人口4,584人の住田町を調べたら意外な魅力✨

最近ね、盛岡で暮らしていると、「岩手って広いよな〜」って改めて思う瞬間が増えてきて。
特に県南とか沿岸のほうって、正直なところ“行ったことはあるけど詳しくは知らない”って町が結構あるんですよね。
……わかるでしょ? あの、名前は知ってるけど、深掘りしたことはない町の存在感。

その中で、ふと目に入ったのが 住田町。
「あ〜、あの林業で有名なとこでしょ?」っていう程度の知識しかなくて。
でも──気になったら最後。調べずにはいられない性格なんですよ、僕は(笑)。

で、調べてみたら、なんと 2025年10月1日現在の人口が 4,584人。
これがまず目に飛び込んできたんだけど、次に驚いたのが……

平成27年(2015年)の人口が 5,720人。

え、けっこう減ってるじゃん……😳
数字のインパクト、バチンと来ましたよ。

「え? 10年で1,100人以上も減ってるの?」って。
そりゃ岩手全体として人口減ってるのは知ってるけど、いざ具体的な町の数字を突きつけられると、やっぱり胸にグッとくるものがあるんですよね。
なんというか、「あぁ……岩手も確実に変わってるんだな」っていう、あのしみじみ感。

でも、ただ“減った”だけじゃなくて、住田町ってその分、面白い取り組みもいろいろやってるんですよ。
知ってます? あの町、岩手県のほぼ真ん中あたりに位置していて、陸前高田と大船渡に挟まれた“谷の町”なんですよね。
しかも、林業がとにかく盛んで、木材のブランド力が県内でもトップクラス🌲✨

で、さらに驚いたのが、住田町の役場は“木造庁舎”なんですよ。
「いやいや、庁舎が木造ってすごくない?」ってツッコミましたよ。
こういうの聞くと、その町の“空気感”というか、“文化の匂い”が一気に伝わってくる感じ、ありません?

住田町って、人口だけ見ると小さいんだけど、実はめちゃくちゃ“芯の強い町”なんじゃないかって、調べながらじわじわ思ってきてね。
なんだろう、静かな熱さ、みたいな。
ああいうタイプ、僕は好きなんですよ……人でも町でも(笑)。

ちなみに、ここだけの話なんですが──

盛岡に住んでいると、どうしても“県庁所在地マウント”みたいなのを取ってしまう瞬間があって(いや、僕だけじゃないはず🤣)。
「盛岡はなんでもあるし!」ってね。
でも、逆にその余裕が“何もしなくてもいい”につながってしまう部分もあって、
住田町のように、自分たちの資源を使ってガシガシ取り組む町を見ると、ちょっと背筋が伸びるんですよ。

人口が減ってるという現実は確かにある。
でも、その背景には、町がどう歩んできたか、これからどう進もうとしているかが影のようにくっついてるわけで。

考えてみたら、人口って“町の体温”みたいなもので、数字が減ってるから冷えてる、って単純な話でもないんですよね。
変化してるだけで、完全に止まってるわけじゃない。
むしろ、こういう小さな町こそ、時代の波に合わせて柔軟に形を変えていく“しなやかさ”があるんじゃないかな、と。

盛岡みたいな中核都市から見てると、町の大小ってつい意識しがちなんだけど、
“住みやすさ”って人口じゃ測れない部分も多くて。
人と人との距離感とか、地域の結びつきとか、自然との関わり方とか。

住田町はそのあたりの“濃さ”が違う気がするんですよね。
なんかね、調べてるうちに、行ったことがある人なら「あ〜わかる〜」って頷いてくれそうな、あの独特の落ち着きが思い出されてきて。

そして何より──

住田町って「岩手県にある町です!」ってちゃんと言いたい。
いや、当たり前なんだけど(笑)、岩手の中でもちょっと位置がわかりにくいからこそ、改めて声にしたくなるんですよ。

盛岡からだと車で2時間ちょっと。
遠いといえば遠いけど、岩手基準で言えば「まあ普通」🤣
この県、広いんですよほんとに……。

でね、こうして住田町の人口を追いかけたことで、なんというか、
自分の中の「岩手」がまた一層立体的になったというか、
“知ってるつもりだった町が、実は知らない顔を持っていた”という不思議な感覚に浸ってます。

岩手って、47都道府県の中でも広くて、町ごとの差が大きくて。
盛岡だけ見てても絶対に見えない景色が、県のあちこちに転がってるんですよね。

人口という数字ひとつでさえ、
「どうして減ったんだろう」
「今どんな雰囲気なんだろう」
「この町にはどんな魅力があるんだろう」
っていう想像がふくらんで、そこからまた調べたくなって。

こういう“知る楽しさ”って、年齢を重ねてからの方が深く味わえるようになる気がします。

ということで──

住田町の人口をきっかけに、また岩手の小さな町に興味が湧いてきた今日この頃でした。
あなたの住んでる地域の人口、最近見てます?
意外と調べてみると、ちょっとした発見がありますよ〜📘✨

 

岩手県住田町 公式サイト

 

久慈市の人口30,661人を調べて気づいた素朴なまちの魅力🌿

ふとした瞬間に、“久慈市って今どうなってるんだろう?”
そんな問いが、どこからともなく自分の頭の中に浮かび上がった。
特にきっかけがあったわけでもなく、ただ何となく、心の奥のほうを小さな波がさざめいたような感覚があった🌊💭
 

気になったら止まらない性格なので、スマホを取り出して検索してみる📱
そこで出てきたのが、目にずしんと響くこの数字👇
 

2025年11月1日現在:人口30,661人
平成27年:36,754人
 

数字は静かで無機質。
だけど、その並びを見た瞬間、胸の奥に小さなざわめきが広がった😶‍🌫️
まるで、自分でも忘れていた感情が、数字に触れたことで目を覚ましたように。
 

盛岡で暮らしていると、久慈は地図の上では近いのに、心の距離は不思議と特別だ。
行った回数は決して多くないのに、思い返される風景はやけに鮮明で、どこか懐かしくて、少し切ない。
 

その感覚を追いかけながら、気づけば“久慈ってどんな街だったっけ?”と、記憶の引き出しをひとつずつ開けていた。
 

◆盛岡から北へ向かうと、風景が少しずつ変わっていく🛣️🍃
 

久慈へ向かう道のりは、いつも“グラデーション”の連続だ。
盛岡の空気は少し柔らかくて、山に囲まれながらもどこか広い。
北へ車を走らせていくうちに、風が乾き始め、空の青が濃くなってくる。
 

そして、さらに進むと、山の稜線の形が変わり、木々の影が細くなっていく。
やがて、空気の中にほんのり潮の気配が混ざる。
あの微妙な塩味のような香りが、“久慈が近い”という合図みたいなんだ🌬️🌊
 

目に映る景色が変化するだけでなく、
肌に触れる風の温度、耳に届く音の距離感まで変わる。
久慈へ向かう道は、まるで時間ではなく“感覚”で移動していくような不思議な道だ。
 

懐かしさ、切なさ、そして、どこか温かい期待。
そんなものが、道の途中から少しずつ心に溶け込んでくる。
 

◆人口という数字の裏側に、確かにある生活の匂い🏘️🌼
 

人口の数字だけを見ると、減っているという事実ばかりに目が向く。
でも、街の本当の姿は数字では語りきれない。
 

久慈の商店街を歩いたとき、
店先の木箱に触れたら、表面がほんのり日焼けして温かかった🌞🧺
それは、毎日の生活が積み重なっている証のように感じた。
 

地元のスーパーの揚げ物の香りは、時間を問わず食欲を誘う🍤
その香りにまぎれて、地元の人同士の会話が聞こえる。
“今日は魚が安いぞ” とか “〇〇さん、久しぶりだな〜” とか。
その何気ない声が、街の鼓動のように思えた。
 

道路沿いの家々の前に並べられた花壇の花🌼
小さな子どもたちの笑い声👦👧
漁港の方から届く潮の香り🌊
ふいに風に乗って耳に届くカモメの声🕊️
 

これらは全部、数字には絶対に載らない“街の息づかい”だ。
 

人口が減った=街が弱った
という単純な話ではない。
むしろ、そこに住む人の生活は確かに続いている。
その“続いている生活”の温度に触れたとき、胸の奥がじんわりと熱くなった🔥
 

◆なぜ盛岡の自分が久慈を思うのか🤔🍃
 

盛岡は便利だし、それなりに人も多い。
新しいカフェができたり、商業施設が増えたりして、街は変わり続けている。
 

だけど、ありがたい便利さの一方で、
“岩手らしさって何だったっけ?”
とふと考える瞬間がある。
 

そんなとき、久慈のことを思い出す。
 

潮風の匂い、素朴な市場のざわめき、
道端の花の鮮やかさ、
人の間に流れるゆったりとした空気感。
 

久慈には、岩手の“根っこ”みたいなものがある。
都会でもないし、観光地だけでもない。
派手さがないからこそ、心に染みるものがある。
 

その“根っこ”を思い出したくて、
ときどき久慈の人口や街の様子を調べてしまう。
それはまるで、遠くにいる親戚のことをふと気にする感覚に似ている。
 

◆寂しさの奥にある、確かな希望🌈
 

人口が減っていることは、もちろん寂しい。
だけど、寂しさが強いということは、
それだけ“街に対して想いがある”という証拠でもある。
 

そして、街が小さくなることで、かえって際立つものがある。
人と人の距離感のあたたかさ、
地域で支え合う文化、
自然と共に暮らす感覚、
残っていく風景や音や匂い。
 

久慈には、その“残っていくもの”が確かに存在する。
 

潮風に乗ってくる香りは強くて、
山を抜けてくる風はどこか懐かしくて、
街の中のささやかな音は、驚くほど心地いい。
 

希望は派手な形じゃなくてもいい。
むしろ、小さな光だからこそ守りたくなる✨
 

久慈の人口を見て胸がざわついたのは、
その小さな光を思い出したからなのかもしれない。
 

◆静かな力を持つ街のこと🌿
 

久慈という街には、表に出ていないけれど“静かな力”がある。
大きな街ではないし、派手な賑わいがあるわけでもない。
だけれど、地に足のついた、確かな強さがある。
 

それは、人の声のトーンだったり、
街に流れる風の速度だったり、
海と山が同時に近くにある独特の距離感だったりする。
 

盛岡で暮らしていると、その静かな力を時々思い出したくなる。
だから、こうして久慈の人口を調べたり、街のことを想像したりする。
 

懐かしさ、
寂しさ、
そして、希望。
 

その全部を同時に味わわせてくれる街って、案外少ない。
 

久慈は、そのひとつだと思う。
 

 

久慈市 世帯と人口(住民基本台帳)

市町村人口ランキング

 

奥州市106,353人の人口に“え?”となり思わず深掘りした😂📊

奥州市ってさ……気になって調べてみたんだけど、けっこう“ドラマ”あるよね?🤔✨
 

最近さ、盛岡で普通に暮らしてると、ふと「岩手の南の方って、今どんな感じなんだろ?」って思う時ない?
わかるでしょ、この“なんとなく気になる”ってやつ。
ニュースでもSNSでも、盛岡目線の話題はそこそこ流れてくるんだけど、南部エリアって意外と情報キャッチしにくいのよね。
 

で、気になったら調べたくなるのが30代男子のサガ……📱
ちょっと奥州市の人口を調べてみたわけです。
 

そしたらね――
 

2025年11月1日時点の奥州市の人口、106,353人。
「ほぉ〜」と思いつつ、さらに遡ってみると……
 

平成27年(2015年)は121,426人。
 

「おおっ……けっこう減ってる……😳」
いや、これ全国的な傾向とはいえ、数字で見るとインパクトあるよね。
“10年前との差”って、妙にリアルじゃない?
 

■ 奥州市ってどんな場所だっけ?岩手県のどのへん?
 

……って、ここまで書いたけど、盛岡の人でも
「奥州市?ああ、あったあった!」
くらいの認識の人、正直いると思う😂
 

奥州市はね、岩手県の南部。
もうちょい丁寧に言うと「盛岡から南へずーーっと行った先」。
水沢・江刺・胆沢・前沢・衣川が合体した市で、地理的にも文化的にも“盛岡とはちょっと違う空気”がある。
 

なんというか……
南部のほっこり感というか、のんびりした独特のリズムがあるんだよね。
盛岡の「適度に都会でシャキッとした空気」とは別方向の良さがある。
 

で、ここ最近は県外から来る人にも
「あ!小沢の家があるとこだ」
「前沢牛の前沢って奥州市のこと?」
みたいな反応されるから、全国的な知名度で言えば岩手の中でもわりと上位。
 

なのに、人口はじわじわ減ってる。
いやーーー、なんだろう……見えないところで色々頑張ってほしくなるよね😢
 

■ 人口が減ってるって言われるとさ…なんか“他人事じゃない”んだよね、盛岡目線だと特に
 

奥州市の人口推移を見てて思ったんだけど、
これ、盛岡でも普通に起こる可能性ある話なんだよね。
 

「地方の人口減」って聞くと、なんか遠くの話みたいだけど、実はめちゃ身近。
盛岡の街中でも、昔より“静かになった”と思うエリアあるじゃん?
あれをもっと長期スパンで見ると、奥州市で起きてるような変化につながるんだろうなぁ、って。
 

で、こういう数字を見ちゃうと「うわ……俺たちの住んでる街も、どうなるんだろう?」って急にリアルになる。
わかるでしょ?
この“妙な焦りと、ちょっとした切なさ”みたいなやつ。
 

もちろん奥州市だけの問題じゃないし、岩手全体で起こってるわけだけど、
南部の中心都市がこれだけ減ってるってなると、なんか胸がキュッとするんだよね。
(30代男の感傷モードが急に発動する瞬間😂)
 

■ でも奥州市の魅力って、どんどん増えてない?
 

とはいえ、人口の話だけ見ると暗くなるけど、
奥州市の魅力そのものはむしろ増えてる気がするんだよね。
 

・水沢の街並みは歩くと味がある
・江刺は歴史と文化の宝庫
・前沢牛は全国レベルで人気
・胆沢の自然はガチで癒やし
・衣川は静かで落ち着ける隠れ家的良さ
 

そして個人的に好きなのが、
「奥州市の人って、なんか距離感がちょうどいい」ってところ。
 

盛岡の人って少しシャイじゃん?
奥州の人はもう少しフランク。
旅先で話しかけられると、なんかホッとする。
あの感じ、好きなんだよね〜😊
 

だから人口が減ってるのを見ると、
「え、魅力あるのになんで!?」
って思っちゃうわけです。
 

■ 盛岡から見た奥州市って、実は“ちょうどいい距離”
 

盛岡に住んでて思うんだけど、奥州市って実は 近すぎず遠すぎずの絶妙ポジションじゃない?
 

・休日にふらっと行ける
・でも「旅行した感」も少し出る
・ご飯はおいしい
・歴史スポットは多い
・自然も豊か
・人はあったかい
 

なんかね、
都会の喧騒に疲れた人がふらっと逃げる先として最適なんだよね。
(盛岡そんな都会じゃないけどさ!🤣)
 

東北道をビューンと南に下るだけで、
ちょっと違う空気が流れてる。
岩手の中で「小旅行感」を味わえるのって貴重だよね。
 

■ それにしても…人口の減り方は、やっぱ考えちゃうよね
 

121,426 → 106,353
ざっくり1万5千人の減少。
 

数字だけ見れば「へぇ〜」かもしれないけど、
これって市全体で見たらかなり大きい変化よね。
 

・子どもが減る
・学校が変わる
・お店も変わる
・街の活気も変わる
・行事の雰囲気も変わる
 

こういう“生活の空気感”が少しずつ変わっていくのが、人口減少の怖いところ。
でも逆に言えば、
「じゃあどう街を面白くする?」
ってみんなで考えるきっかけにもなる。
 

盛岡でも似た課題あるし、
なんか“人ごとじゃない感”がすごいのよ。
 

■ 奥州市って、岩手の南でしっかり“岩手の顔”してる街だと思う
 

結局のところ、奥州市って
岩手を語る上で欠かせない場所なんだよね。
 

・歴史
・文化
・食
・人
・景観
・観光
・産業
 

全部バランスよくそろってる。
しかも“派手すぎず、ちょうどいい”。
これがまた奥州市らしさでもあるわけで。
 

盛岡に住んでても、なんか気になる存在なんだよね。
ちょっと遠くに住んでるけど、親戚みたいな。
いや、親戚って言うと語弊あるな。
「近くに住んでるけど、そこまで頻繁に会わない友達」みたいな?
(この比喩伝わる?😂)
 

なんかね、
放っておけない街なんですよ、奥州って。
 

■ 最後にひと言だけ…奥州市、これからもっと面白くなりそうじゃない?
 

人口の数字は確かに減ってる。
だけど魅力とか可能性とか、新しい動きとか、
ぜんぜん“下降”してないと思う。
 

むしろ、この先どう変わるのかすっごく楽しみなんだよね。
 

盛岡から車で1時間ちょっと。
気が向いたらすぐ行ける距離。
気分転換にも最適。
そして美味しいものも多い。
 

岩手の南にある奥州市。
これからも、なんだかんだで目が離せない存在ですわ✨

 

奥州市 人口・世帯数

 

そうそう、調べていて気づいたんだけど……🔍✨
滋賀県の長浜市、人口111,325人なんだって!😳
奥州市の106,353人と、けっこう近い数字でびっくり。
 

「似た規模の街って、どんな空気なんだろ?」って
ついブログ巡りしてたら、長浜市の人が書いた記事も発見📘
 

人口の近い街同士って、なんか勝手に親近感わくよね〜😊
遠く離れてても、同じ課題や魅力を抱えてる感じがして
“わかるわかる”って思いながら読んじゃったわけで🤣✨

長浜市の人口111,325人にふと驚きつつ、となり町の私は今日も余計な考えごとをしている

陸前高田の人口16,857人を見て、つい気になって調べた話 🤔📊

陸前高田市役所の写真
陸前高田市役所の写真

 

陸前高田市の人口を、なにげなく調べてしまった今日この頃。
いや、別に深い理由があったわけじゃないんですよ?
ただ、盛岡に住んでいると──どうしても県南のほうの空気が恋しくなる瞬間って、あるじゃないですか。
(※あると言い切るのは無理があるけど、そこは勢いでカバー)

んで、ちょっとした思いつきで「陸前高田 人口」と検索してみたら……
出てきた数字に、思わずスマホを持つ手が震えました 📱💦

2025年11月1日現在 16,857人。

……少なっ⁉
いや、分かってはいた。震災後の人口減少のニュースも散々見てきたし、岩手県全体の人口が右肩下がりなのも知っている。
でも、改めて数字で突きつけられると、なんと言うかこう……胸の奥でひっそり小さく「うぅっ」となるあの感覚。

しかもだ。

平成27(2015)年の人口は 20,039人。

この10年で 3,000人以上減ってる じゃないですか。
いや、3,000人って……
盛岡で例えるなら、「駅前の朝のバス停に並んでる人、全員いなくなった」くらいのインパクトですよ。
もしくは「イオン盛岡南のレジ前の行列が全部消える」。
そんな奇跡が起きたら、レジのお姉さんも思わず二度見しますよ、そりゃ。

でもね、人口の話って、ただ数字が減ったからダメだとか、そういう単純な話じゃないと思うんです。
陸前高田の人たちがどれだけ踏ん張ってきたのか、
そして今どういう暮らしをしているのか──
そこに思いを馳せると、数字の裏にあるストーリーが見えてくる気がするんですよね。

……と、ちょっと真面目ぶってみたりする盛岡市民の私 ✋😅
(※普段はスーパーで値引きシールの貼られる時間を虎視眈々と狙ってるくせに)

■陸前高田って「遠いようで近い」絶妙な距離感

盛岡から陸前高田って、まあまあ距離ありますよね。
車だと2時間近くかかるし、公共交通を使うならさらに時間がかかる。
ぶっちゃけ、「今日思い立って行く」みたいな場所ではない。

でも、なんか“気になる”。
あの場所の空気感って、他の町とは違う特別さがあると思うんです。

震災の後、整備されて広い空が見えるようになって、
その広さの中に人の気配がちゃんとある。
それは、行った人にしか分からない“静かな熱量”というか……
(急に語彙力が文学っぽくなるのは、だいたい話が迷走してるサイン)

気になって思わず調べてしまったのは、そういう「何か」があったからなのかも。

■人口減少の数字を見て思ったこと

人口が減ると、どうしても暗いイメージが付いて回ります。
でも実際には、街の姿が変わるだけで、新しい動きも生まれているんですよね。

お店ができたり、移住者が来たり。
最近だと、若い人が地域のプロジェクトに参加していたり。
イベントに県内外から人が来ていたり。

「人が減った」≠「街が終わる」なんてことは無い。

むしろ、変わるからこそ生まれる何かがあるのかもしれません。

──と、ちょっとだけキレイなまとめをしたい気分になっている私ですが、
現実に戻ると

「自分の住んでる盛岡も普通に人口減ってる」

という事実が立ちはだかってくるわけで。
いやもう、他人の町の減少にセンチメンタルになる前に
自分のとこ心配しなさいよ! とツッコミ入れたくなる始末。
(しかも最近、近所の商店街がまた一軒閉まった……😭)

■でも、やっぱり気になる理由

「なんとなく気になる場所」って、誰にでもありますよね。

私にとって、それが陸前高田なのかもしれません。

ニュースだけでは分からない、行った人にしか分からない空気。
復興の過程で変わっていく街並み。
そして、そこに暮らす人たちの息づかい。

人口の数字だけ見たら、「減ってる」という事実は確かにある。
でも、数字だけでは語れないものがあるのも確かで。

それを、盛岡に住んでる私みたいな立場の人間が
ちょっと気になって調べて、
少し胸がキュッとなって、
でも最後には「よし、また行こう」と思える。

そういう街って、やっぱり特別なんだと思います。

■結局のところ……

人口の話から始まって、最終的に「また行きたい」で終わるこの文章。
なんかうまくまとめたように見えるけど、正直言ってしまえば──

「ただ気になって検索した結果を感情で語っただけ」

である。

でも、それでいいんじゃないでしょうか。
個人ブログなんて、そういうもんです(開き直り)。

数字を見て驚いたり、
街を思い出してしんみりしたり、
ついでに自分の住んでるとこにもブーメラン刺さって痛がったり。

そんな感情の揺れもまた、
「岩手で暮らしてる人間あるある」なのかもしれません。

──というわけで、
今回のブログ記事のオチとしては、

結局私自身の生活圏のほうが心配になって終わった

という、なんとも締まらない展開でした ✋😇
(でも、これが一番リアル)

 

市の人口・世帯数 陸前高田市

 

調べていたら、もうひとつ気になる数字が出てきました 👀✨

なんと、茨城県の城里町の人口が16,467人らしいんです 📊
おお…陸前高田とめちゃくちゃ近い数字…!
思わず「仲間、発見…!?」って気持ちになりました 😂

同じくらいの規模の町があると、
なぜか親近感がわくというか──
数字だけなのに、勝手にシンパシーを抱いてしまう不思議 😇💭

人口って、こういう“意外なつながり”も見えてきて面白いですね 🌱📘

城里町の人口16,467人が気になって、つい調べ込んでしまった話

2026年の盛岡市消防出初式に行ってみたい理由 🚒🔥✨

2026盛岡市消防出初式タイトル

年が明けると、なんとなく「今年はどんな景色を見られるかな」と思うのだけれど、最近になって気になり始めたのが 2026年1月4日予定の盛岡市消防出初式。
ずっと前から存在は知っていたものの、「来年こそは行ってみたいなぁ…」という気持ちがふつふつと湧いてきている。

だって、あの赤い車両がずらりと並び、団員さんが整然と行進する姿なんて、なかなか見る機会ないし。
冬の盛岡の空気に消防車のサイレンの余韻が混ざる…そんな光景、ちょっと想像しただけで胸が熱くなる。🔥✨

2026年の予定をのぞいてみると… 📅

盛岡市消防団の案内によると、2026年の出初式は 1月4日(日)予定。
会場はいつものように 盛岡城跡公園広場、そして 大通り・産ビル前〜映画館通り交差点あたりで分列行進が行われるらしい。

冬の盛岡城跡公園って、あの静かで透き通った雰囲気が好きなんだけれど、そこに色とりどりの消防車が並ぶと思うと、もうそれだけで行く価値がある気がする…🚒❄️

見てみたいポイント①
🔥 迫力の車両行列

ポンプ車、はしご車、化学消防車、救助工作車、救急車……。
普段は点在している車両たちが、同じ場所に集まる光景ってかなり貴重。

写真で見る限り、行進の迫力がすごい。
「これは絶対、生で見たほうがいいやつでは…?」と素直に思ってしまった。

見てみたいポイント②
🧑‍🚒 団員さんたちの凛々しい姿

2026年も、きっと多くの消防団員さんが参加するはず。
きりっと整列して行進する姿は、それだけで新年の気持ちを引き締めてくれそう。

年の初めに「街を守る」と決意を固める場面を見守れるって、ちょっと特別な気がする。
こんな瞬間に立ち会えたら、1年のスタートがすごく前向きになりそうだ😊✨

見てみたいポイント③
🚧 街全体がイベント気分になる

分列行進が行われる大通り周辺では交通規制も入る予定らしい。
交通規制と聞くと「大変そう…」と思うかもしれないけれど、
むしろ“街全体が出初式の舞台になる”みたいでワクワクする。

歩道から車両を眺めたり、交差点で行進を見送ったり、普段と違う表情の盛岡を味わえるのがいい。

2026年は、ついに行ってみようかなと思っている ✨

今までは「行ってみたいな」程度だったけれど、予定を詳しく見てみると、
「これはもう行くしかないのでは?」という気持ちが加速してしまった。

冬の盛岡、澄んだ空気、赤い消防車、真剣な表情の団員さん。
そんな景色の中で新しい年を迎えられたら、きっと忘れられない1日になるはず。

2026年の出初式、今からちょっと楽しみ。
当日、あの場所でどんな光景が広がるのか、じっくり味わってみたいと思う。🚒❄️🔥

 

盛岡市消防出初式

 

人口2,254人の普代村ってどんな空気なんだろう?と想像しながら検索した日📱🌬️

普代村の黒埼展望台からの景色
普代村の黒埼展望台からの景色

 

盛岡で暮らしていると、ふいに海のことを思い出す瞬間がある🌬️🌊
夕方の冷え込みが強い日なんて特にそうで、コンビニ帰りの道端で「あれ?潮の香りした?」と錯覚することがある。
もちろん盛岡に潮風なんて来るわけないのに、脳内だけは三陸へワープしてしまう🚀💭
 

そんな“海欠乏症”みたいな心境になっていたある日、なぜかスマホの画面に「普代村」の文字が飛び込んできた📱✨
その瞬間、頭の中のスイッチがパチッと入り、
「普代村って今どれくらいの人が暮らしてるんだっけ?」
という疑問が湧き上がってきた👀💡
 

いつもなら調べずに流すのに、この日は違った。
気になったら止まらない。海がそっと袖を引っ張ってきたような、不思議な感覚だった🌊💙
 

普代村の人口は2,254人だった📉📊
 

まずわかったのは、2025年11月1日現在の人口が2,254人ということ✨
そして平成28年の人口は 2,844人。
 

数字だけ見ると減っているけれど、その変化は激流ではなく、まるでゆっくりと色が変わっていく秋の葉のように静かなもの🍁💭
 

人口って不思議だ。
数字そのものは冷たく見えるのに、その裏には生活や仕事や家族の選択がぎっしり詰まっている。
普代村の2,254人という数字も、小さいようで大きな物語を抱えている📘✨
 

普代村は岩手の“北の縁側”みたいな場所🏔️🌊🪑
 

普代村は岩手県北部、三陸沿岸のちょうど静かなところにある📍✨
盛岡から向かうと、山が深くなっていくにつれて風の匂いが変わり、空の青みが増していく⛰️🌬️💙
 

普代の海に近づくと、まるで海が
「おつかれ、よく来たね😊🌊」
とでも言っているかのように優しい。
 

一方で普代の山はどっしりしていて、
「まあ座れ、ゆっくりしてけ🍵🌲」
という“おばあちゃん感”さえ漂わせてくる。
 

もし岩手県全体をひとつの家に例えるなら、
盛岡=家の中心のリビング
普代=北側にある静かな縁側
という感じ🍃🏡✨
 

ちょっと座るだけで空気が変わる、そんな特別な場所だ。
 

人口の変化を見ながら、村の“息づかい”を感じた📉➡️🌱
 

2,844人から2,254人へ。
減ったと言えば減ったけれど、それは誰かが悪いわけでもなく、ただ“時代の流れがそっと形を変えた”だけのこと🌊⏳
 

人が移り住む背景には、仕事、育児、学校、家族の事情……そんな無数の選択がある。
まるで波が砂を少しずつ動かしていくように、村の姿も少しずつ変わっていくのだ🏖️💭
 

でも、不思議なことに、村の魅力は減らない。
数が減っても、空気の濃さはまったく薄れない。
むしろ、景色の輪郭がくっきり見えるようになる✨🌄
 

港の光
潮風の湿り気
山の影の深さ
 

どれも人口では測れない価値だ🌅🌊
 

普代浜の景色に思いが飛んでいく🎨🌊✨
 

人口のことを調べていたはずなのに、気づけば普代浜の光景が頭に浮かんでいた🐟🌤️
あの広がりは、まるで村が描いた巨大な絵画のようだ。
 

もし普代浜が人間だったら、きっとこう言う👇
「まあまあ、そんなに急ぐなよ〜🏖️😌」
 

波がザザーッと引いていくたびに、心の中の余計なざわつきまで連れてってくれるような、不思議な静けさがある🌊🫧
 

潮の匂い、風の温度、遠くに見える防潮堤……
普代の海はどれも優しく、遠くからでも思い出せるくらい印象が強い。
 

盛岡の生活の中で思い出す普代の存在☀️🕊️
 

盛岡は便利で、刺激もあって、快適な街だ🏙️✨
だけど忙しさの波に飲まれそうになる日はある。
 

そんな日の帰り道、ふと普代村の景色を思い出すと、
胸の奥で時計がゆっくり動き直すような感覚がある⏰💛
 

「海を見に行きたい」
「山の空気が吸いたい」
そんな願望が、普代の名前をきっかけにふんわり広がる。
 

2,254人という人口の数字は小さいかもしれない。
でも、その中にある暮らしはとても豊かで、静かで、強い。
 

気づけば心が北へ向かっていた🚗💨🌊
 

人口を調べただけのつもりだった。
数字を確認して、終わるはずだった。
 

なのに、気づけば普代村の海の匂いを思い出し、山の影を思い出し、
「行きたいなぁ…」
という感情が胸の奥からそっと立ち上がってきた🍃🌊✨
 

こういう村って、どこか特別だ。
行くたびにリセットしてくれるような、心の奥で灯りをつけてくれるような、そんな場所だと思う。
 

普代村は、またきっと誰かの心に寄り添ってくれる。
海も、山も、風も、村も、全部優しい。
 

人口2,254人の普代村には、数字では測れない魅力が息づいていた📘🌲✨
 

2025年11月の普代村は、2,254人が暮らす静かな村。
平成28年の2,844人から減ったとはいえ、その奥には無数の生活の物語がある📖
 

そして、普代村の海や山や空気は、数字とは関係なくいつもそこにある。
盛岡から眺める普代村は、静かで、強くて、優しい場所だ😌🌊
 

次に海が恋しくなったら、普代へ向かってみたい。
潮風も、村の空気も、きっと笑って迎えてくれるはずだ🚗🌅💙

 

ふだい統計あれこれ 普代村公式サイト

 

最近、ネットをふらふらしていたら、北海道の和寒町の人口が 2,763人 らしいという情報に出会った👀✨
 

「おお、普代村とほぼ同じくらいの小さな町が北海道にもあるのか」と思った瞬間、なんだか妙に親近感が湧いてしまった。
地図で見ると遠いのに、こうして数字を見るだけで“同じサイズ感の暮らし”を想像してしまうのが面白い😊🌲
 

小さな町同士って、勝手に兄弟みたいに感じてしまうのは私だけだろうか。北海道にもそんな“静かな仲間”がいたのだと思うと、ちょっと嬉しくなった🌟✨

旭川のすぐ上!ちいさな宝箱・和寒町へ人口2,763人でもパワフル!

 

人口13,550人の山田町、ふと気になったので確認してみた📍

山田町の漁港
山田町の漁港

盛岡に住んでいると、どうしても「海」が恋しくなる瞬間がある🌊
冬のキュッとした空気に包まれて歩いていると、ふっと潮の香りを探してしまうことさえある。
(もちろん、盛岡にはそんなものは漂ってこないのだけど💦)
 

そんな“海不足”の心がふくらんだある日、「あれ?山田町って今どのくらいの人が暮らしてるんだっけ?」という疑問が頭に浮かんだ。
ふだん沿岸のことを考える時間は少ないのに、こういう時に限って急に気になってしまう。
そして調べ始めた途端、数字や地図の向こうに、海と町がふわっと姿を現しはじめたのだ🐚✨
 

■ 山田町の人口は13,550人(2025年11月1日)📉
 

まずたどり着いた最初の事実。
2025年11月1日時点で、山田町の人口は13,550人。
 

そして、平成30年(2018年)には 15,701人いた。
数字の上では減っている。
まるで山田町が「最近ちょっと身軽になってみたんだよね」と言っているみたいで、どこか寂しさと愛しさの混じった感情が浮かんでくる😌🌱
 

町の人口というのは静かな呼吸みたいなもので、増えたり減ったりするそのリズムには、個々の人生の決断が積み重なっている。
だからこそ、こうした数字を見ると、町の奥にあるストーリーがゆっくりと顔をのぞかせる📘✨
 

■ 山田町は岩手県の“海の扉”みたいな場所🚪🌊
 

山田町はどこにあるのかというと、岩手県沿岸部の真ん中あたり。
盛岡から車で向かうと、山を超え、川沿いを走り、風景がじわじわ変化しながら、最後に海がドーンと迎えてくれる。
あの瞬間の開放感は、まるで海が手を広げて「よく来たね」と微笑んでいるように感じる☺️🌤️
 

もし岩手県がひとつの家だと仮定したら、盛岡は“真ん中の居間”、そして山田町は“潮風が吹き抜ける縁側”にあたる。
その縁側に立つと、風景ごと心が少し軽くなるような、不思議な力がある🌿🌊
 

盛岡と比べると、山田町はゆったりとしていて、海と山が互いに寄り添って暮らしているような、どこか優しい雰囲気をまとっている。
自然に囲まれたその場所は、風景そのものが語りかけてくるようだ。
 

■ 人口の変化を眺めながら思う、町の息づかい📉➡️📈
 

人口減少という言葉だけ聞くと、つい冷たい印象を抱きがち。
だけど、そこには一人ひとりの暮らしがあり、選択があり、未来への歩み方がある🌱
 

平成30年から2025年までの間に、数字上は2,000人ほど減った。
けれど、それは町が弱くなったという意味では決してない。
むしろ「その時々の状況に合わせて姿を変えてきた」という、山田町のしなやかな歴史の一部なのだと感じる。
 

盛岡市に住んでいると、沿岸の町に対してちょっとした憧れがある✨
海のある暮らしは、どこか“人生の背景に音楽を持っている”ようで、その音楽が波のリズムならなおさら魅力的。
しかし実際の生活となると、仕事、交通、家庭の事情など、現実の要素が複雑に絡み合う。
だからこそ、数字だけでは語り尽くせない町の事情がある。
 

■ 山田町といえばホタテ!という話を外せない🐚🔥😋
 

山田町の名前を聞いた瞬間、つい思い浮かべてしまうのがホタテ🐚✨
(もうこれだけでお腹が鳴るのだから、自分は盛岡の人間とはいえ三陸文化に染まりすぎている。)
 

山田のホタテは大きくてプリプリしている。
盛岡のスーパーで見かけると、まるで「今日は特別な日だよ!」とホタテ自身が勢いよくアピールしてくるような存在感がある😆🔥
 

もしホタテが喋るとしたら、きっとこうだ。
「バター醤油でもいいし、網焼きでも最高だよ!迷ってたら時間がもったいないって!」
そんな声が聞こえてしまうから、気がつくとカゴに入れてしまうのだ。
 

ホタテひとつ取っても、山田町がどれだけ豊かな海を持っているのかが伝わってくる。
海の恵みは、町の誇りそのものだ。
 

■ 風景が語りかけてくる町の存在感🏞️✨
 

人口という数字が減っていても、町の魅力はまったく減っていない。
むしろ、残っていく風景の輪郭がより鮮明に浮かび上がるような気がする🌅
 

港の朝日、山の香り、潮風に揺れる旗。
それらは数字では測れないし、時代が変わっても消えるものではない。
まるで町そのものが「ここにあるよ」と静かに語りかけてくるようだ。
 

盛岡の生活はどうしても慌ただしい。
だけど山田町に立つと、時計の針が一瞬だけゆっくりと動き直す。
それは町の空気が持つ力なのだろう。
 

■ 調べているだけのつもりが、いつの間にか心が旅に出ていた🚗💨🌊
 

最初はただ「人口の数字を確認したい」というだけだった。
それなのに、調べるほどに山田町の海の色や風の匂い、ホタテの存在感まで頭に蘇ってくる✨
 

気付くと、「あ、今度また行きたいな」という気持ちが自然と芽生えていた。
沿岸というのは不思議だ。
距離が少しあるからこそ、恋しくなる。
普段は離れて暮らしているのに、ふとした瞬間に会いたくなる親戚のような存在でもある。
 

■ まとめ:13,550人の町には、数字を越えた魅力がしっかり息づいていた📘✨
 

2025年の山田町は、13,550人が暮らす町。
平成30年と比べて人口は減っているけれど、その背景には町の歴史や個々の生活が色濃く刻まれている。
 

盛岡に住む私から見ても、山田町は心をそっと引き寄せてくるような不思議な魅力を持っている。
海も、風も、町の人々の営みも、そのすべてが静かで力強い。
 

数字は町の姿を表すひとつの要素にすぎない。
実際に訪れれば、山田町が持つ“変わらないあたたかさ”が胸に広がるはずだ😌🌊💙
 

次に海が恋しくなったら、迷わず山田町へ向かってみたい。
ホタテも、海も、町も、きっと笑って迎えてくれるから✨🐚🌅

 

人口と世帯数 岩手県山田町

 

八幡平市の人口22,766人、静けさの中に息づくあたたかさ‍🌞

八幡平市の森

 

「え、もうそんなに減ったの?」この数字を見たとき、正直、ちょっと胸の奥がキュッとなった。2025年10月31日現在、八幡平市の人口は22,766人。平成のころにはもっと人がいたのにね。あの頃のにぎわい、温泉街の笑い声、スキー客のざわめき――なんだか全部、少し遠くなった気がする。
 

でも、静かになった町には、静かだからこそ見える“光”もある✨盛岡から北へ車を走らせ、松尾八幡平ICを降りた瞬間の空気、あれ、わかるでしょ?ピンと張りつめた冷たさと、土と木の匂いがまじった、あの感じ️都会の人は「何もない」と言うけれど、住んでる人には“何もないことの贅沢”がちゃんとあるんだ。
 

️八幡平の空は、ちょっとズルいくらいに美しい
 

八幡平の空って、なんであんなに深い青なんだろうね。盛岡の空もきれいだけど、あそこは空気の透明度が違う。冬なんて、星が刺さるように見える。「寒すぎて鼻が痛い!」って文句言いながらも、つい見上げちゃう
 

最近は観光客も少し戻ってきて、紅葉シーズンには八幡平アスピーテラインが大渋滞。でも、その渋滞の中で、誰もイライラしてないんだよね。「まあ、せっかくだし景色でも見よう」って感じで、窓を開けて冷たい風を吸い込む。――わかる?あの、ゆっくり時間が流れる空気感
 

道の駅のコロッケがうまい、それだけで生きていける説
 

「道の駅に寄る?」って聞かれて、「いや、もう何も買うもんないでしょ」って言いながら結局寄るやつ。で、ついつい買っちゃうんだよね、あの“牛バラコロッケ”✨外はサクッ、中はほくほく。あれを口に入れた瞬間、「あぁ…やっぱり八幡平に来てよかった」って思うんだ。
 

観光って、結局は“味覚”と“記憶”がセットなんだよね。人が減っても、こういう味がある限り、八幡平はちゃんと生きてる。コロッケ一個で心が満たされるって、すごいことだと思う。
 

人が減っても、人の温度は下がらない
 

正直、人口22,766人って聞くと、「少ないなあ」って思う。でもね、八幡平の人たちは、その数の中で“濃い”んだよ。田舎あるあるだけど、ちょっとしたことでも声をかけてくれる。
 

たとえば、スーパーでおばあちゃんに「そのキャベツ安いよ」って教えてもらったり、雪かきしてたら「寒いね〜」ってコーヒーを差し入れてくれたり☕️そういう優しさが、日常の中にふわっとある。それがこの街の“体温”なんだと思う。
 

盛岡から遊びに行くたびに思うんだけど、「人が減る」って、単純に“数が減る”だけの話じゃない。“関わりの密度”が増すこともあるんだよね。少ないからこそ、見える顔がある
 

冬の八幡平、過酷で愛しい
 

冬の八幡平は、まさに“試される北国”。道路の雪壁、マイナス10度の朝、車のドアが凍って開かない事件…もう全部、あるあるすぎて笑っちゃうでもね、その厳しさの中に“誇り”があるんだ。「こんな冬を越えてるんだぞ」っていう、あの静かな自信。
 

春になって、雪解けの音を聞く瞬間の幸福感。カエルの声が聞こえたとき、「あ、今年も生き延びたな〜」って思う。たぶん、八幡平の人たちは、みんなそのサイクルを知ってる。“生きること”と“季節を感じること”が、ちゃんとつながってるんだ❄️
 

若者がいなくなっても、夢は消えない
 

たしかに、若い子は盛岡や仙台に出て行っちゃう。それは現実。でも、最近ちょっとずつ戻ってくる人もいる。テレワークで地元にUターンしたり、カフェを開いたり。「誰もいないなら、自分がやるしかないじゃん」っていうポジティブな空気、ちゃんとある✨
 

小さなパン屋さん、古民家カフェ、キャンプ場をリノベしたゲストハウス。こういう動きがポツポツと出てきてるの、ほんとにうれしい。“変わらない自然”の中に、“変わっていく人の挑戦”が見える。そのバランスが、八幡平らしさだと思う
 

静けさの中で、心の声が聞こえる場所
 

盛岡でバタバタ働いて、週末に八幡平へ行くとね、ふっと自分の呼吸が戻る。コンビニも信号も少ない。だけど、空と山と風がある。「何もない」が、「満たされてる」に変わる瞬間って、確かにあるんだ。
 

人口22,766人。それは、減ったというより、残った人たちの数字。この場所を愛し、守り、暮らし続けている人たちの数。静かな強さを感じる。
 

️終わりに:八幡平は、静かな希望の街
 

人が減っても、八幡平の空は今日も広い。風は冷たくても、温泉はあったかい♨️そして、笑う人がいる。それだけで、この街はまだまだ大丈夫だと思う。
 

「八幡平って、地味じゃない?」って言われたら、笑ってこう言おう。「地味じゃなくて、深いんだよ」って。この深さを知ってる人だけが、きっと本当の“豊かさ”を知ってるんだ。
 

また来よう、八幡平へ。コロッケ片手に、冷たい風に笑いながら「わかる〜」って、きっと誰かが頷いてくれるはず。

 

人口と世帯数 八幡平市